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2008/11/13

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何しよんの?


って言われまして。笑。


えらい長いの載っけて、時間割かせてえ。


って。
すんません。

しかも携帯変わって(!)操作がよくわからんので、記事あげようにもあげられへんで。苦笑。
SHの壁は高いね。

ものがたりっていうのはいとをかしいです。


散々とある未熟児のファイルん中で比較的書いてて赴き深かった子を出産してしまいましたが、それは双子で透子と映二という風に名づけましたが、まだまだ未熟児な彼らは思いのほか元気でいて世田谷のどこかしらにある私のバーボンのボトルの底らじゅうで出してくれえ!と言っています。

ワード内での出産の醍醐味とはなんたるや!で。
たまにその店に行って、彼らをあやしてみたりもしています。
でもおっちゃんはきっちりとそのボトルの口を閉めるので、私は一層冷え固まった夜風にしゃんとしながら次の子を腹んでいきます。
何と合体して受精して産出するのか、ダンナはどこのどいつですか。
といった虚しい疑問よりも、次回の出産の痛みを楽しみにしながらタクシーの赤い割り増しの点灯に手のひらを振ります。

投げ掛ける孤独はそのままに、今はただ、産出するばかり。
私は痩せます。体重が2キロくらい自動でどこかに左遷されていきました。私はそいつらの肩を叩いてなんていないのです。そいつらは自らの意思で以てフイっと冷え固まり、とろけて消えただけで。

私は私の意志により、タクシーの運ちゃんに言付けてPCの前に還ります。


ものがたりってほんとに、いとをかしいです。

俳優という生業をほんの尻尾でも絡められていてしあわせだと奥歯で噛む最近。
尻尾に集約できひんでいた残りの肉の汁を活字で噛んでいる相変わらず。


これはどういうことよと、フロントガラスに流れ行く定期的な街灯の白にブーツの底で小さく蹴ってみたり・・・。


これはどういうことよ、

そんな不可解は不快と一蹴されるばかりと思うんですけど、たった一蹴の想いの比重って、大体の反復の中で生きてるなあと思うのならば、その比重って結構であなや意外にも首ったけな代物じゃないですか。


深夜に世田谷を走るタクシーの中で、私はいつもフロントガラスを、タクシーの運ちゃんに気づかれないような微細なそれに向っての一蹴する内でそんな戯れをしたりします。

EVER AIRと双子はそんな些細な一蹴りの力点からころりと落っこってきたものがたりです。

皆様も、どうか良いものがたりを。

一蹴の一瞬の中に咲き、ただ落ちる、無縁仏の如し虚しき色彩ばかりであるがどうにも熱っぽいそれをどうか。


意味や効力など無くともいいものです、それらは。
意味や理由を超えたどきどき(笑)という透明なほんとうを大切に。

とりあえずは、私はそういうものをいとをかしく、いとおしく想ったりしているんでありました。


また次回!

Posted by 芙美子 on 11月 13, 2008 | | コメント (10) | トラックバック (0)

2008/10/29

EVER AIR@(臨終)~透明度無限大の視界0~

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映二はセブンスターを灰皿の中で押しつぶすと、透子が持っていたスケッチブックを透子の手から抜きとり、その一番後ろのページに折りたたまれ挟まっていた紙を取り出し、立ちすくんでいる透子の眼下で開いた。

・・・コレハ、・・・ナニ・・・?


透子は口の端だけで、流れ出してくる収集のつかない感情を必死に何かしらの形にしようとしながら、なんとかその流出をせき止めようとした。熱く燃え始めた皮膚の上では冷えきった針がみるみる逆立つ。

・・・これが、あなたのホントウ・・・?

2つに折りたたまれて、最後のページと裏表紙の間で眠っていた紙に描かれたスケッチに描かれていたのは、


透子の最期であった。

吉崎隆二に絞殺されながら、眼を見開き、今、その絵の中、正に死んでいく透子の最期であろう、鮮明なスケッチ。

「僕に突き落とされる前、彼は気がフれていたのかもしれない。・・・そして、言った・・・。
「殺してやる。あの女!通報なんかしやがって!」・・・と・・・。」

「・・・で、・・・でも・・・!」


自分が何を言おうとしたのかわからなかった。でも、陳腐な打ちっ放しの言葉だけが出て行く。
知りたいほんとうを、求めずにはいられなかった。しかし、着地できない欠落したそんな言葉は宙で弾け、呆気なく消える。


「ほら、虫の知らせってあるじゃないですか・・・。僕は、あの日、あの、母が死んだ時に、そんな気なんて微塵もしなかった。あれ以降たくさんの「死」を予期してきたっていうのに。
・・・ほんとうに、大切な人が死ぬっていうそんな時ですら、僕はちっとも何も感じなかった・・・。」


映二は顔を上げた。

ぶっきらぼうに歪んだ笑みを必死で浮かべながら、その顔面いっぱいに不治の悲哀を、もう永遠に、絶対に自分でも誰かにも何によっても救われる事が無いであろう、逃れる事もできないであろう、怖いくらいに完璧な比率で以て、美しく歪んだ笑みを浮かべていた。
涙に溺れ次第に沈み行く非力な眼は、嘘偽りなく、光を失いつつあるかの様に、今まさに死にゆくが如くに激しく、どこまでも透明に燃えている。

「・・・あなたが彼の手にかかり、危険な目に遭う事がわかった。
僕が彼のそれを描く直前に、その絵が、その情景が、いつものように僕に落ちてきたから。・・・もちろんあなたには言えなかった。

でも、とにかく彼を捕まえてそれを止めようって、なんとか捕まえて警察でもなんでもいいから彼が凶行に及ばないような状況までもってこうって・・・。
あなたの最期を予期してしまった後、すぐそう思った。
でも・・・。

それを描いた直後、気がついたら・・・僕は彼の死を描いていた・・・・。」

「・・・彼のその絵は・・・、いつものような予期じゃなかったのかもしれない。

いつもの、とても恐ろしい、逃げる事が出来ない様な、あの僕以外の何かからの苦しい重圧に描かされた訳じゃなかった。

・・・僕はたぶん・・・僕の意志で描いた。

そして現実にしたんだ。僕の意思で。この彼の絵の事を。


・・・もし、僕がこの絵を描いた直ぐ後で彼の死を予期し、たとえそれを描かなくても、描けなくても、きっとこうしたと思うんです。彼を探し、見つけたら同じ事をしたと思う・・・。

たとえ彼が死んでも、彼を僕が殺しても、それがどんな事かわかっていても・・・
僕はきっとそうする事を選んだ。」


全身の力が抜け、透子は座席に落ちた。
見当たらない感情の境目に涙がつるつると、頬を裂いていく。

「・・・なんで、・・・そんなことまで・・・?」

ねえ、・・・正しかったの?・・・。

いえ、そんなこと・・・。

でも、間違っていたの?

いえ、だとしても・・・。


ねえ、・・・悲しい・・・こわいよ・・・。
・・・でも・・・、そうではあるのだけれど・・・。


終わってしまった他人の「生」、人の「死」の後、不謹慎にも何故か透子のほんとうは、発熱し続けていた。

熱く、熱く・・・。


今、私、生きている。生かされている。

ちゃんと、見つけられて、確かに守られながら・・・。


「・・・ねえ、・・・これで、いいの?・・・よかったの?」


映二はもう、涙をせき止めるでもなく、何を無理に止める事もなく、むしろ何がという判断のつかないままの曖昧な、しかし迷いの無い澄んだ眼をして言った。


「・・・多分、こういうのが虫の知らせってやつなのかなぁ・・・。
僕は・・・そうしなきゃって思った。・・・そうしたいって・・・。失くしたくないって。」


映二の凶行を咎める事も、嘆く事も、否とする事もできない透子は全身で映二の言葉を静かに噛みしめ、反芻していた。

決して、というか取り返しのつかない、どうすることもできない、決定的な絶望。

「死」の「終」を、「生」を「継続」する身である自らの意思で以て、
そんな存在にとっては最高で最恐であろうタブーを犯した映二、彼がそうまでしてでも守り、生かされている、存在している自分自身に、恐ろしいほどの悲しみと熱に縁取られたはっきりとした愛おしさを感じてしまっていた。


永遠に離れられない。
離れたくない、ここに居たい。
という、恐ろしくも透明な確信が湧くのだ。


覚悟・・・?、をした。

私達は、
「生」を「継続」する私達では、どうにもできないはずのタブーを犯してまで凶行に及んだ映二の意志と、その先で、今、生きている私。


そうまでして私を、私だけを守ろうとしたきみ。
そして、今、きみは生きている。

今、生きている私と一緒に。

・・・ごめん、私は、そんな最高に最低に欠けてしまったきみが、最高で最低になるまでに私が欠けさせてしまったきみが、


最高で最低な汚らしさではあるのかもしれないけれど、

好き。

そうしてまで、とんでもない事までやらかしちゃった事を背負って、そのとんでもない比重にまみれ、潰れ、汚れまくっていても、
こうしてまだ生きていて、
今も私の目の前で、ちゃんと・・・、


ちゃんと在るという事が・・・ごめんだけど・・・。
嬉しい。


・・・カミサマなら・・・制裁を下すかな。
裁判官なら、警察官なら、いや、道徳とか、要領のいい美しき術を持ち合わせ、例え心で泣いてても顔で笑っていられる利口なもの達ならば、


・・・たぶんあなたを綺麗に排除できるだろう。
もしかしたら、あなたはその方がマシっていうのかもしれない。
伸びっぱなしのだらしない前髪で隠れているから、ぶっちゃけ真意は察知できない。

でも、どっちにしても・・・私は駄目みたいだ。
ほんとに駄目みたいだ。

だからごめん。

あなたを好きだと、嬉しいと、思う。

こんな今になってしまってから初めて、そう思う。
取り返しのつかない崖っぷちに来てからやっと高鳴る熱。

でも、これが私のほんとうだ。私はそれをもう、閉ざしたくないんだ。


そう思ってしまった。見つけてしまった。

・・・ごめん、私は、駄目みたい・・・。


・・・でも、いい。
勝手かもしれないけど、
もういいんだ。


「どう?」でもいい。

「どう?」がこの熱を綺麗に処理してくれた試しなんかない。
継続するしかない私と共に在り、救済してくれた試しなんかない。


私は「どう?」でもない、この熱を信じていたい。

それが「どう?」であろうがなかろうが。
もういいんだ。


だって、とてもいいんだもの。
とてもすきだと思うんだもの。

・・ねえ、・・・ここから先、私達は、在り続けられるのかな・・・・・?
そのための力を見つけられる・・・?


映二は嘔吐する様に苦しそうに続けた。
透子は夏の終わりの花火の末尾までを惜しむ様に、どんどんという脈のひとつひとつにその言葉達を飲み込ませていく。


「誰でもなくて、誰よりも・・・たとえ誰が終わっても、消えても・・・。

あなたが生きていてくれたらって・・・。

あなたが居てくれるんなら、僕はどうにでも出来るって。

・・・勝手に、ほんとうに勝手に、そう思った。」

「・・・・・駄目で、ごめんなさい・・・・・。」
透子は擦れて笑って見せた。泣いていたのかもしれない。


しばらくの沈黙の後、映二はもっと擦れた笑みを浮かべて言った。

「居てくれたら、駄目でも、どうでもいいんです。少なくとも、僕にとっては。」


失うことの恐怖は全部捨てられるんだ
ここにきみがいるのなら。
亡くす悲しみすら背負っていけるんだ
ここにきみがいるのなら。


いたい、こわい、なみだ、けもの、きょうふ、こどく
忌むべきものは続くだろう、僕らは成す術もなくいくだろう。
それで、どうして、なぜ、どこ、もういやよ、なんも
否と不条理は続くだろう、僕らがおとす真っ暗な影のなかで。


でも僕らは止まれないままだろう。
そう僕らはたぶん選べないんだろう。


その理由は指をすり抜ける砂?
その根源は波にのまれる城?

くりかえしながらいくだろう、忌むべき否と僕らのほんとうとを。


でも僕は止めたくないんだよ
でも僕はいま閉じたくないと思うんだ


その理由は相変わらずわからない
でも、ただ今、ここにいるのなら
そう、ただ君がここにいるだけなのに


いたい、それで、こわい、なぜ、なみだ、どこ、けもの、きょうふ、もういやよ、こどくの何も無し。
それでも生ける気がするんだよ
無数のそれらにたったひとつきりの
ここにいるのなら
無数の先の中、たったひとつきりの
きみがいるのなら。

・・・終わらせたくない。この手で守りたい。汚れたままでいい

守り,、行き続けたい。


私達は・・・・・。

僕達は・・・・・。


正しくないのかもしれない。
罪でしかないのかもしれない。
僕らのほんとうが見るものは、悲しみと痛みと熱の虚しい繰り返しだけなのかもしれない。

でも、
生きるも、死ぬも、殺されるも、愛されるも、曖昧ならば痛いだろう。
ずっと是非など知れぬまま、ただ行くだけ、半端なら悲しいだけさ。

果ても始まりも知らないまま、曖昧で半端で、非力すぎるこのほんとうは


続くだけの「生」の中鳴る、
ただ、「いけ」という怒号に、
走り続ける事しか選べない。

まるで飢えた狼のように迫り来る、今という現実を背にしながら。

Posted by 芙美子 on 10月 29, 2008 | | コメント (10) | トラックバック (2)

2008/10/22

EVER AIR@(継続)

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・・・映二は何も言わなかった。
ただ膝をついて全身の力が抜けて辛うじて姿勢を保っているであろう格好で、夜闇に響く花火の光と影の合間で微動だにせず居た。肩で小さな息をしているのが判った。
動きを見せない映二のくたびれた背を含んだ視界の全体をしばらく呆然と見つめていた。

・・・ミュールの踵が折れた。その辺りの肉が余計な負荷に苛まれていて、べらぼうに痛い。身体全体の不快指数は測定を停止した。筋肉が痛い、動いていないのに息がだんだん苦しくなる。肩から腸までの臓器を駆使して必死に酸素と平素を得ようとてんやわんやでいるが静寂。何か声を発しようとするも音無しで激しくなっていく呼吸に後回しにされ、なかなか発っする事ができない。

全身で呼吸をしながら明暗を繰り返す視界の中、透子は汗に濡れながら限りなく無心に近いままで居た。
しかし、機能を停止した意識とは関係ない衝動で、土まみれの手に小さな石ころを一粒掴み、映二の背に向って投げた。

背中に石ころが当たったのに気づいて、映二は一瞬びくっと肩を動かし、ゆっくりと透子を振り返った。

まだ呼吸も整わないままの透子はすぐに、ちかちかと点滅する視界の中、なんとか這う様な格好で四つんばいにずるずると四肢を駆使し、映二ににじり寄った。


映二の顔は汗だくになっていて、身体からは下がりきらない熱い体温が発生していたが、肌は寒々と青ざめていた。
辛うじて灯っていた光すらも失った目は相変わらず前髪の奥で黒く穴の様に見開かれている。感情らしき匂いは無くなっていた。先ほどまでの生命力に満ちた疾走が嘘みたいだ。

いっとう最初に出会った時、あのマンションで「ドッ」という金髪のボブカット女が地面に叩きつけられた音を聞いた後に見たあれだ。

底なしの黒い穴みたいな怜悧な目。救急車ではなく警察だけを呼んだ、可能性ではなく不可能で塗りつぶした、鳴り止まない諦めが混沌ととぐろを巻いているあれ。虚無で構成されている失われた感情の抜け殻。
ボロボロに疲れきっていた透子はマトモに思考が働かなかった。あの日の夜みたいにその印象に感化され畏怖を覚える余裕もない。


肩と全身で必死に呼吸を整えながら、映二の肩に手をかける。
恐怖とか正義感とか、もう意思とかじゃなく、っていうかそんな余裕はない。言葉だけが脳からころっと落ちるみたいだった。

「・・・き、きゅうきゅうしゃ。・・・呼んで」

静かに決壊した脳から次々にころころと落ちる。

「・・・呼んで・・・救急車・・・は、やく。・・・救急車呼んで!」

まだマトモに呼吸や思考が整わないうちにまくしたてて落ちていく言葉に過呼吸気味にすらなってくる。映二はぴくりとも動かず、虚無の穴で透子を呆然と見つめている。


・・・苦しい・・・苦しい。
次々に落ちる言葉が肺を追いつめていく。
久しぶりにびっくりするくらいの距離をゾッとする程の全速力で、勝手な憤りと不条理の中、一心不乱に疾走してきた透子の体力や精神力は、云わば何年も忘れ去られていて錆付いた機械を無理やり稼動させたみたいにガタガタと無様に音をたてて暴発と誤作動を繰り返していた。
完璧にイかれた機械は自爆に向ってまだ言葉と熱を排出し続けている。


しかし、そのリスクを対価にしても、救急車を呼ばなくちゃいけない。今、やらなきゃ。今じゃなきゃ・・・。警察じゃなくて、救急車を呼ばなきゃ。

そう、だって、今、目の前に見える。いるじゃない。

勝手に、知らないうちにガス自殺とかして終わってしまった「死」じゃない。
どうにもならなくなってしまったそれじゃない。
まだ・・・、だって、今、少女は目の前に在る。それはまだ、今なら触れる事ができるじゃない。


かあっと脳が熱くなった。
それが起爆剤になって透子の全身になけなしの血を熱とを送り、ある意思を灯した。
透子は映二の肩にかけた手で依然動こうとしない映二を軽く突き飛ばして勢いをつけると、揺らいでそのまま倒れこみそうになっている映二に脇目も振らずに大橋の下、暗い暗い柱の元の死角に横たわって動かない少女の元へ駆けた。
等間隔に打ち上げられ続けている花火のせいで辺りは光と闇とを繰り返している。地響きみたいに鳴るどんどんという鈍く巨大な振動に足の下が何度も揺れる気がする。今にも平行を失いそうになる。それでなくとも回復せぬままの視界はまだ点滅していて、前すらちゃんと見えない。でも、・・・。

よろよろと不恰好なまま、なんとか少女の元に駆け寄る。頬に触れてみる。
・・・まだ少しだけ暖かかった。まだ、「生」が、微々たる量にまで激減しているけれどまだ、在る。

此処に在る。少女の頬の皮膚と、私の手のひらの皮膚を境に、ふたつの境の刹那に、弱い熱を含んだそれがここにまだある・・・!

すがりついた。
激しい夕立と雷鳴の轟く中「置いていかないで」と泣いた時の、底なしの、どこまでも残酷で透明な絶望感。二度と御免!と思っていたそれ。それから必死で逃れたいと、ただ泣いた時の様に。
透子は無心でただ、脳から落ちる指針が突き刺さるまま、突き動かされるまま、そう、恐ろしい狼から必死で逃げ回る様に、少女の小さな胸に手を当て、乾いた唇に唇を合わせ無心で人工呼吸を執り行った。
いつかテレビの「救命ドキュメント」か何かで見た、うろ覚えの延命処置だったが錆付いた記憶の戸をえぐりながらただ、続行する。

・・・苦しい、苦しい、苦しい!・・・。

息が、くるしい。
視界が、肉が、頭が、意識が、記憶が、予測が、・・・あ~っうざい!疲れた!ビール飲みたい!シャワー浴びたい!
なんで、なんでこんなことまでして、苦しいのに。くるしくて、悲しくて、やりきれなくて、痛くて痛くて、ずっとちゃんと知っているのに。ここにあるものがすごくこわいことだって、悲しいものだってずっと知っているのに。
なんで、触れているの?もう触っちゃ駄目って知って・・・・・。
なんでよ、なんで言う事聞かないのよ!?・・・いま、すっごい苦しいのに・・・!


でも、・・・。まだ此処に居るなら・・・まだ、在るなら、・・・無くならないでほしい。消えないでほしい。
その声から逃げられない。忘れられない。捨てられない。

だって、どうにもならなくなってしまったら、無くなってしまったら、過ぎてしまったら・・・それはもっとこわいものになるってことも、知ってるんだ。ずっとずっと、こわいものに。どうにもできない絶望に・・・。

終わってしまったら、例え「死」でもそれが「終」になってしまったら、それは覆せない永久の恐怖になるんだ。
喪失と絶望だけを遺して、「生」を「続」するものに、底なしのそれらをずっと遺すだけなんだ。
私は、・・・その方が何よりもいやだ・・・もう。


「嫌・・・」

透子は過呼吸気味の中でやっとこさ得た酸素を少女に惜しみなく与え続けながら更に呟いた。言葉と酸素を吐き出したせいで更に呼吸が乱れる。全身が痛い。ついた膝からは血が滲んでいる。
・・・ねえ、嫌なのよ。とてもこわいことってわかるの。そう、もし届かなくなってしまったら、終わってしまったら、なくなってしまったら、それは・・・とても・・・。

「嫌・・・いや。いや!いやいやいやいやああっっ!!!」

半狂乱状態の中、うろ覚えで繰り返す人工呼吸の動作は虚しく無意味にだんだんと手荒になっていく。
その時、透子の身体は後ろから何か強い力で捉えられた。
「!?」
自分が激しく乱れた呼吸をしているのに改めて気がつく。瞬時に酸欠状態の脳が平行を失い、視界が大きく斜め下に落ちた。


映二だった。映二は透子の身体を後ろからがっちりと捉えると転倒しそうになった透子を軽く支えた。

「・・・・・。」言葉が出ない。
リズムの狂った脈が頭の皮膚をドンドンと打つ。透子の全身は全総力を動因して「呼吸をしろ」という緊急指令を全うする事に没頭している。停電して非常灯のみが燃え盛っている。他の機能という機能が全てストップさせられている為、言葉など出るはずがなかった。
ただ、異常な程に荒くなっている自分の息づかいと脈の音だけをぼんやりとした斜めの視界と感覚の中で思った。

半分倒れたまま動く事も喋る事もできなかった。ふと、激しい呼吸と脈に揺らされて焦点が合わない、斜めに落ちた視界の中にてきぱきと活動する姿がゆっくりと浮かび上がってきた。


映二・・・?


映二は手際よく無駄のない動きで心臓マッサージと人工呼吸をしていた。腑抜けてうな垂れたまま虚無の穴と化していた先ほどの人物とはまるで別人の様にひとつひとつの動作から熱を発しながら。全体から確かな実体と重みを感じる。
一体どこで覚えたのだろう。映二の応急処置は完璧に見えた。幾多とこのような状況を越えてきたのだから、何処かで手馴れにならずにはいられなかったのだろうか。
その動作の全ては美しく、手馴れで、本物の救急救命士みたいだ。
少しずつ正常な感覚と呼吸を取り戻してきた透子はむくりと身体を起こし、ぺたんと間抜けに座った格好のまま映二と少女を眺めていた。
少女は依然、ぴくりとも反応を見せない。ただ、映二からの作用を受けるだけで、人形の様に機械的に揺れる。映二は一瞬も躊躇う事なく応急処置を続けている。縁日の中を、薄暗い夜を疾走した時に見せた迷いのない力強さ。絶望の穴の中で存在も定かではないような希望を貪り、一直線に飛び込んでいく姿には畏怖すら覚えた。今、あの時の映二がそこに居た。

・・・この人と私は、よく似ている。透子はそう思った。

只々、当たり前の幸福や充足に手厚く守られて、それを享受しうる術をごく自然に、当然の通過の様に身に付けられないまま、喪失や悲しみにばかり神経を尖らせながら、そのひん曲がった切っ先で絶望感と諦めとを分厚く纏い、闇と化したその内で「死」という象徴の下に力なく潰れながら、只々、これ以上の変化にきっと付随してくるであろう衝撃に戦慄き、分厚いそれから外をぶっきらぼうに拒絶する事しか出来ず、しかしながら分厚い内の闇の中、そこから外に在る希望と「生」を忘れる事も出来ずいて、その矛盾に嫌悪しつつ、自らの「生」ですら諦めた風を装い、しかしながら、やはりここから外にある自他共々の「生」を忘れる事ができずに、

結局は、ただ、愛さずには、求めずにはいられなくて。

絶望を利口に理解したふりを装いながら、馬鹿まるだしの無様さで結局は希望を貪り続ける。
「生」を渇望し続ける虚しさは「死」をただ了解するのみの力すらも凌駕してしまうというのに。双方の実体とその力には大差はないが、しかし、決定的な違いがあって、それは「継続」。


続いていく「生」と、
終わってしまう「死」。


降り続け、地面に打たれ停止する冷たい「終わり」の雨粒の繰り返しをただ受け続けるだけの肌は確かな熱を生み「継続」する事を辞めない。
「生」の「継続」を辞めない。わたしたちは、辞められない。

分厚い灰色の雲の向こうにあるかどうかも定かではない光を受けたいと一心に継続するだけ。
それは悲しく、無様であり、汚らしくも、しんどくもなり、辛く、痛く、こわいものを容赦なく連れてくる。
しかし、肌と肌の下の血液や臓器をはじめとするこの存在を形作る全てのものは全総力を動因して、ただ熱を生み続けるのだ。

暗闇の中、音も無くただひたすら「生」を「継続」するだけ。

そのふたつの向こうにある色々に、鋭くひん曲がった、利口で無知で柔らかい心というものが、柔らかいその表面に新たな痛みを覚える事を時に恐れ、無理やり「絶望」を「終」で貼り付ける。

これ以上もう・・・。何も要りませんから、何処も壊さないでと。


そうして静かに滴り落ちる泡沫の「死」の匂いに溺れて「生」と「継続」とを丸ごとその中に沈めようとする。
しかし結局どのようにしても「生」は「生」なのだ。
「生きていたい」と「生きてほしい」というこころの実体はずっと昔からあり続けている。
「生」や「死」の途中で,
たまたまとりあえず在るだけの私達にはどうすることも出来ない問題なのだ。
結局、愛しくて、愛おしくて、求め続けるだけ。辞められない。

私達はそういうもの。私達の定義そのもの。
がつがつがつがつとした、「継続」、私達はそれ。私達のそれ。
どっちでもなくて、ただのそれ。


正しくない、利口でもない、美しくない、えげつない、終わらない、ただ続けるだけのそれらの中で。
・・・なんて馬鹿だろう。馬鹿だ。無駄だ。
それこそ永遠の虚無の穴そのものなのかもしれない。


・・・ああ、それでも・・・。


きっと、この人と私は似てる。とてもよく似ている。

馬鹿みたいっていう諦めと擦れた眼光とで大人しく沈黙しながら、
きっとどこかで馬鹿でもなんでもいいって、それでもどうでもいいって、
「それでもいいんだよ」っていう例えば、言葉とか?

ここの外からの「希望」を求め続けている、
・・・大馬鹿ものだ。
そういうのはとても弱いから、ずるいから、ひとつきりでは「生」と「継続」に何度も「絶望」してしまうんだ。


そう、よく似ている。わたしとあなた。あなたとわたし。ひとつきりでは駄目なところが。


でも・・・いま、いまなら、ひとつじゃないのかな・・・。


非力で柔らかなひとつとひとつの肌の境には新たな熱が発生し、互いを暖めるんだ。ひん曲がってしまって、錆付いた互いのほんとうを呼び合うんだ。
そうでなければ、なんで私は、走ったの?交われたの?関われたの?たくさんのこわいことをよく知っていたのに。なんで触れたりしたの?


細かい事象、恐怖、驚き、衝撃、不条理、不可解、それらはこの先もずっと私を苛む。
きっとずっと震えは止まらない。
それらや悲しみもまた生きものであるから、勿論、共に続いていくだろう。

私の身体は確かに熱を持った。

唇にひいたみずみずしい紅や、頭に入らないまま閉じた活字の羅列とその夜や、回転と加速を辞めなかった足や、酸素を失いかけながらもその苦しみすら投げた私の中のほんとう。
それらはちゃんと熱を持ったのだ。
もう忘れていた、忘れようと「停止」せよと利口に沈黙させた熱は、結局はこうして私を「継続」させていた。
きっとこれからも、結局はそう、
そういう風に続くだけ。

だってそれは「継続」という流れ行く灰色の雲の下に堕ちた、柔らかくてしんどくて、それでも、いやむしろ、それこそが愛おしくてたまらない「生」なのだから。


少女の身体が小さく反応した。
映二からの作用を受けるだけの無機質な動きではなく、少女の肌の下から発せられた確かな熱を帯びる反応。

映二はそれに気づいて、少女の頬を何度も叩く。
激しくノックしてその内の「生」を呼ぶ。激しく激しく優しく、ぶっきらぼうに求める。


「起きろ!起きろ!死ぬな!」映二は叫んでいる。


生きろ!生きろ!終わらないでくれ!のほんとう。


そして、少女が少しずつ細くたたまれた瞼をゆっくりと開く様を、透子ははっきりと見た。

灰色の雲を轢きちぎって激しい産声をあげる雷のひとすじの様であり、しかしながら、空けない夜を割ってあふれ出す橙と黄の美しさを携えてもいた。
綺麗だった。
恐ろしいほどに綺麗な熱の誕生。


・・・透子は泣いた。激しい呼吸と脈はいつしか止んでいて、代わりに次々と涙が落ちた。

少女は瞼をはっきりと開けると黒々とみずみずしく潤う眼に小さく眩しい白い光を映した。
花火は終焉を迎えているようで、次々と色とりどりに夜空にあがって、誕生と死滅を繰り返していた。
そのひとつ、赤い色の光を少女の目が映した時、少女は小さく呟いた。

「・・・きれい」

予想外の第一声に拍子抜けしたのか映二は電池切れして、一気に崩れ落ちた。
しかしその背はもう虚無の穴はくくられていないし、抜け殻でもない。
小さく肩が震えている映二のそのもの。映二のほんとうから透明にまっすぐあふれ出す「生」そのものの動作。確かな熱の実体。鼓動。「生」の鼓動。

透子はそれもはっきりと見た。泣き続けた。激しく声を上げて。

無様に溶けたマスカラは顔面を汚し、膝から出た血は褐色に固体になって張り付き、折れたミュールの踵は機能を失い、小さな傷と虫刺されまみれの四肢は果てなく痛みを叫び、疲労してヨレヨレの骨と筋肉はだらりと姿勢を屈折させていて、大変に救いようのない汚い格好でいたが、そんな事はどうでも良く、激しく声をあげてわあわあと泣いた。
そうせざるを得ないのだった。


花火はほぼ間隔をあけずにどんどんと夜空で鳴いている。
刹那に次々「死」する繰り返しの境目での儚き「生」の連続。ぶつぶつと途切れ消え、次々に燃えカスにしかならない存在を惜しみなく恥じなく、一瞬の恐れもなく誇示している。一瞬の光の為だけに。


透子の声に気がつき、映二が振り返る。
映二もまた見通しの悪そうな伸びた前髪の奥にある眼に涙を浮かべていた。
少女はゆっくりと身体を起こし、ふらふらとしていたが、気にかける映二や透子を振り返る事もなく、乱れた浴衣姿のまま、花火に彩られて無数の色彩に染まっている空を見上げたまま、河川の草むらに歩き出した。
大橋の暗い下からそこ向い、弱々しく歩いていく少女の身体もまた無数の色彩の光に打たれ、染まったり影ったりの点滅にきらめいた。


「きれ~!!」
少女は今の今まで失神して死にそうになっていたというのに、びっくりするほど元気で無邪気に笑いながら声を張り上げた。


透子と映二は呆気にとられながらそのきらめく小さな背を眺めていた。しばらくして映二がやっと口を開いた。

「きれい・・・ですね・・・。」

透子がふり返る。
まだ止まらない震えを全身で受けながら涙眼のまま、打ちあがる花火とその点滅する光を受け、くるくると色とりどりにきらめく小さな背をじっと見つめている。


「・・・よかった。・・・生きてて・・・ほんとうに、よかった」


・・・生きて、ほんとうに、よかった・・・。


透子には、その映二の言葉が、震えながら泣きながら発せられた熱い熱いそれが少女にはもちろん、映二自身にも、そして透子自身にも向けられた言葉のように感じた。

その確固たる熱をそうとらえて、噛みしめると分厚く覆っていた灰色がゆっくりと溶けはじめた。
そして、透明になる。
何の遮りもない、ずっと小さなころにあった、良く知っていたはずの無限。
一切の混じりけや分厚い濁りが溶けた、透子のこころのほんとうが激しく鳴く花火に共鳴する。
ばらばらと伸びきってよく確認できない薄暗い目元の奥にある眼、強く見つめ続ける濡れた眼、確かな熱と拭えない弱さと諦めとを携えている眼、継続への虚無感を忘れきれないまま、おぼつかない「生」が濡れては燃え続けている映二の眼。不透明にまみれた透明。

それら全てとそれら以外の曖昧な境目でがつがつがつがつとぶっきらぼうに生きている。侵される事に脅えながら、求める事を辞められずに。
そうすることしかできない矛盾した、美しくもない、弱くて熱く熱く濡れた眼、他の誰よりもそんな実体を惜しみなく恐れなく現している、映している透明な眼が、今、はっきりと透子に映った。

透子は映二に駆け寄ると、そっと頬に触れた。泥まみれの手が冷えて震える皮膚を優しく汚した。優しく愛撫でる様に侵した。

映二は何も言わなかった。答える代わりみたいに頬に宛がわれた泥まみれの手を震える手で強く握り締めた。

まともに立ち上がり、歩き続ける力すら、あるのかどうかわからないままで、その非力さを嘆く様に、小さな夜に共鳴する小さな熱と熱。

たぶん・・・こうしたかったのだ。
ずっとずっと昔から、それで、たぶんこの先もずっとずっと。
こんな事でよかったんだ。


過去や未来に於いての何ちゃらはやっぱよく知らないし、考えたくもないけど、
今は、この熱がとてもいい。

だから今はこうしたい。こうしていたい。

何もわからなくたって、一筋の光すら見えなくたって、とてもこわいことが延々と続いたって、その最中でこうして熱を感じられるのなら、それはとてもいい。とてもいいこと。


この熱はとてもいい。とてもいい。とてもすき。

最後の花火が散った。
乾いた火薬の匂いと湿った夏の夜、少し冷えた風が吹く。河川沿いの草むらを撫でながら、藍と海へ吸い込まれていく。

重なる手の片方で思った。


終わらせたくない。この手で守りたい。汚れたままでいい、守り続けたい。


失うことの恐怖は全部捨てられるんだ
ここにきみがいるのなら。
亡くす悲しみすら背負っていけるんだ
ここにきみがいるのなら。

いたい、こわい、なみだ、けもの、きょうふ、こどく
忌むべきものは続くだろう、僕らは成す術もなくいくだろう。
それで、どうして、なぜ、どこ、もういやよ、なんも
否と不条理は続くだろう、僕らがおとす真っ暗な影のなかで。

でも僕らは止まれないままだろう。
そう僕らはたぶん選べないんだろう。

その理由は指をすり抜ける砂?
その根源は波にのまれる城?

くりかえしながらいくだろう、忌むべき否と僕らのほんとうとを。

でも僕は止めたくないんだよ
でも僕はいま閉じたくないと思うんだ

その理由は相変わらずわからない
でも、ただ今、ここにいるのなら
そう、ただ君がここにいるだけなのに

いたい、それで、こわい、なぜ、なみだ、どこ、けもの、きょうふ、もういやよ、こどくの何も無し。
それでも生ける気がするんだよ
無数のそれらにたったひとつきりの
ここにいるのなら
無数の先の中、たったひとつきりの
きみがいるのなら。


―――――残暑が磨り減るようにして名残惜しそうに消えていく。
まだまだ蒸し暑い日は続くが朝晩はかなり涼しくなった。
周りでは急な気候と温度変化に体調を崩す人間が続出している。先週、バイトの同僚も風邪をひいていた。相変わらず単調な繰り返し生活で暇人の透子はその同僚の分のシフトを全うするハメになった。

透子はバイトを変えた。というかサブでやっていたバーのバイト一本にしたのだ。バーはショットバーで安値の為、若者からサラリーマン、OL、謎な人物、神、仏、犬・・・等等の様々な客が絶え間なく訪れ、連日連夜かなり騒がしい。

先週突っ伏していた同僚が回復したので、今週は休みが多くとれた。

月曜と火曜と土曜の深夜すぎは完全オフだ。

月曜、朝。前日ねじ込まれた酒がまだもったりと残っている内蔵あたりをTシャツの上から撫で回しながら起床。
午前10時すぎ。ずっと午後にならないと目が覚めない癖は治らないままであったが、今日は何故か自然に目が覚めてしまった。そんな無意識からの衝動をゆっくりと愛撫でる。


体調悪し、二日酔い。でも気分は悪くない。すくなくともここの辺にあるほんとうは悪くはない。


手馴れてきた上品めの薄いメイクをし、長い髪をくるりと綺麗に纏めて金色の飾りを挿す。
7分袖の黒いワンピースにライトな茶色いブーツを装着し、部屋を出る。快晴。日中はまた蒸し暑くなりそうだ。急かすような蝉の声が響く。駅前から住宅街を少し抜け、一方通行のどん詰まりの喫茶店「BLUE BIRD」に到着する。重たいドアを開ける。
店内に客は無い。昼前だというのに薄暗い店内の一番暗いその奥、カウンターの端っこに気配を消すようにして映二が座っている。大量にミルクを入れたホットコーヒーの傍らでセブンスターをたらふく食った灰皿がうとうとしている。そして・・・スケッチブック。まだ生きているのか、もう死んでいるのか。

ドアの開閉の音に気づいた映二が振り返る。
相変わらず青白い全体、結局切っていない伸びきった黒々の髪の毛で眼と表情はやっぱり確認困難。やっぱり不審。

透子はあの祭りの夜の少女殺人未遂の一件の犯人が吉崎という知り合い(というか、知っているだけだが・・・)だったという事実を告げた。
あの一件の直後、現場に園田率いる警察と、何故かほぼ同時に到着した救急車との間ですったもんだでいてあまりよく覚えていないのだが、現場に居合わせた透子に、その後、園田から捜査経過と、現場から押収された風車から検出された指紋が執行猶予中の吉崎のものと一致したという事実と、すぐに全国指名手配で公開捜査になるという事を聞いていたので、まあ一応、映二にも伝えようと思ったのだ。

指名手配というのは、まあ、とんでもないことに吉崎は警察の目を上手いことすりぬけて、こつぜんとどこかに姿を消してしまったらしく、逃亡中だとのこと。
萌え系嗜好でオマケにロリコン。本当に絶句せざるを得ないが、しかし納得、盗撮マニアで常習(ぶっちゃけそうだったらしい)痴漢の吉崎ならば、現実世界よりも異次元世界贔屓の吉崎ならば、う~ん、まあ、なんか納得。

寒気と虫唾が一気に走るような忌まわしいトラウマの一部でもある、色々の対人不振や引きこもりやああ、絶望の起爆剤である事と、その中でのオッサンだったけど、もう会う事もあるまい。あとは園田に任せよう。


映二はそれを聞いて薄く反応を示した。そして困った様に無骨ではあるが言葉を選びながら
「そうですか・・・、実は僕も今朝、ニュースで見ました。お知り合いだったんですね、・・・あの、・・・散々でしたね」と吐いて、わかりずらい表情のままの顔面で精一杯の苦笑いを垣間見せた。

「でも、まあ、あの娘が無事で良かったですよね。」
透子はそう聞いてから注文したアイスカフェオレを飲む。


ふと、テーブルの上に付着しているそれ、スケッチブックを手に取り、透子は無言のまま最初からパラパラとめくる。

おだやかに流れる空気。BLUE BIRDは気の毒なくらい客が少ない。
・・・吉崎の店も確かこんなんだったっけ、まあ、嫌いじゃない雰囲気だけど。

映二は黙ってコーヒーを啜っている。もう、あんな不吉な絵は描かなくなったのか。


パラパラとめくるめく中では様々な死の情景が描かれている。
過ぎていった、どうにもならなくなった、終わってしまった、やりきれなく癒えない悲しみと恐怖と絶望が重たい比重で全てのページを埋めている。
混沌として吹き溜まり、終わりの無い終わりが延々とする真っ暗闇の、どうして購う事も逃げる事もできないような分厚い不透明が降り積もるだけの情景。写真の様に鮮明で美しくさえある巧さで描かれているそれらだが、いつ見てもやはり気持ちのいい絵ではない。

透子の母親のそれ、あの最期の情景のページも過ぎる。
しかし透子はパラパラとめくる手を止めない。
それももちろん、そして全てのページの「終わり」を出来る限り残さずしっかりと目の奥にしまいこみながら、止まらずパラパラとめくる。
一番新しいページに達する。


・・・・・!?
驚愕。


ちょうど口に含んでいたアイスカフェオレにも衝撃が走り、激しく口内で揺れて誤作動。その先頭が気管に侵入し激しく咽た。


・・・っ!!!???・・・これって、これ、・・・っつうか、何で・・・!!

突然の透子の挙動を見て、映二がカップを唇につけたまま停止した。


・・・これって、こいつって・・・。


「よしざき・・・」


沈黙。
ぐつぐつと煮える分厚い沈黙。


スケッチブックの最後のページに描かれていたのは吉崎隆二の最期をリアルに描いたものだった。


確か奴は失踪中。逃走中だ。
警察の目も親族の目も誰の目も掻い潜って、一人、何処かに居る身だ。
そう、吉崎は何処か、誰も知らないどこかしらに居る。誰の守護も受けないような場所に。
もちろん、身の危険も本人にダイレクトに降りかかる場所だろう。そして、今、透子の手中にある死亡予期の画ヅラを表すというスケッチブックの、その中、最新の1ページの絵の中には吉崎のそれがはっきりと描かれている。


もちろん場所はわからないが、何処かしらの階下?・・・そう、階段の下か。
背景には階段らしき人工的な輪郭の連続が描かれている。そのような背景の情景。吉崎らしき絵の中の当事者は、頭と口のから血を垂れ流しながら横たわっている。くたびれたTシャツ姿、安っぽいズボンを身に着けてだらしなく、気の毒なくらいに呆気なく血液らしきものを吐きながら眼を見開いたまま静かに横たわっている姿。


「探さなきゃ・・・!」


透子は即座に席を立った。


吉崎の、動向やこっから先とか色々の過去の事なんて、いやもうむしろ勘弁してくださいって感じではあるのだが。
いや、でも・・・、映二の死亡予期のスケッチ、そう、死亡の「予期」のスケッチなのだ。あの少女の時の様に、まだ微々たる「生」の可能性はある。

「生」の可能性があるなら、罪とか、キモいとか、ロリコンとか、あ~もう!!面倒くさっ!
そういう半端な付加価値なんて通り越して、
とにかく繋げたい。繋がなければ。「継続」しなければ。したい。とにかく、それからだ。先のどうこうはそれからだ。
透子の中にストレートな熱と動機が噴出した。


しかし、席を立って奮起した透子はふと、思った。

何故、映二はあの少女の一件の時の様に、スケッチブックをとって拝見した私に最新の吉崎の、そう、リアルタイムで描いた死亡予期スケッチを描いた事実を告げなかったのだろう。

「・・・ねえ、これ、いつ描いたの?・・・どうして、さっき言わなかったの?・・・ってか、もしかして、もう・・・手遅れ・・・?」
透子が聞く。


死亡を予期し、それを探し、どうにもならない結論を向かえた情景を前に幾多と落胆してきた映二だから描いた死のスケッチが逃亡犯の吉崎だとしても、きっとあのボブカットの女や少女の時みたいに出来る限り探すだろう、それでいてそれがもう間に合わなかった悲しい結果であったのなら、口に出さない事もありうるか。そこにはこれ以上他者、もちろん透子をあまり巻き込みたくないとする配慮があるのかもしれない。


映二は、氷点下の温度を携えた空虚な穴を顔面に浮かべ、冷たく停止したままだった。
そして答えた。


「・・・ええ、もう手遅れです。・・・手遅れにしないために、僕がそうした。・・・そうする事を選ばずにいられなかったんだ。」


―――続!

Posted by 芙美子 on 10月 22, 2008 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/10/16

EVER AIR@(前)

Air

失う恐怖を全部捨てられるんだ
ここにきみがいるのなら。
亡くしたものすら背負えるんだ
ここにきみがいたのなら。

いたい、こわい、なみだ、けもの、きょうふ、こどく
忌むべきものは続くだろう、僕らは成す術もなくいくだろう。
それで、どうして、なぜ、どこ、もういやよ、なんも
否と不条理は続くだろう、僕らがおとす真っ暗な影のなかで。

でも僕らは止まれないままだろう。
そう僕らはたぶん選べないんだろう。

たぶん理由は儚きもの
たぶん意味なんてないね

くりかえしながらいくだろう、たくさんの不透明と僕らのほんとうとを。

でも僕は止めたくないと思うんだ
僕はいま閉じたくないと思うんだ

その理由は相変わらずわからない
でも、ただ今、ここにいるのなら
そう、ただ君がここにいるだけで

いたい、それで、こわい、なぜ、なみだ、どこ、けもの、きょうふ、もういやよ、こどくの何も無し。

ねえ、それでも生ける気がするんだよ
無数のそれらにたったひとつきりの
ここにいるのなら
無数の先の中、たったひとつきりの
きみがいるのなら。――――

―――幼かった日、夏の終わり、頻繁に急な夕立があった。雷が真っ青だった空と真っ白な雲とを荒々しく轢きちぎると、世界が灰色に染まった。凶器の様な雨粒は直撃すれば刺さりそうな勢いで一斉に落ちてくる。頻度を増していく雷鳴と光、激しく落下してくる雨、それは何か絶望的に恐ろしく得体の知れない何かを連れてくるようだった。または、追い詰めた非力な獲物に少しずつにじり寄る、餓えて殺気だった狼の様にも思えた。
一人で留守番をしていた夕立の始まりにはいつもそんな逃げ場の無い恐怖に、心身全体が包まれた。
恐くて、恐くて、死んでしまいそうに。その感覚は容赦なく時に残酷であって、またそんな一片を垣間見せる無垢な子供みたいに、どこまでもどこまでも残酷なまでに無限な透明さでもあった。


――――――――目が覚めたら汗だくになっていた。・・・違った。ベランダに面した窓の、すぐ下の床上で転寝をしていた為に、網戸越しに吹き込んで来た突発的な激しい夕立のせいで顔面と上半身がずぶ濡れになっていただけだった。透子はむくりと起き上がり、全身に走った鈍い痛みに顔をしかめた。
床上に何も敷かずに眠りこんでしまった事を激しく後悔した。身体の方々がビリビリと痛い。
2、3日前からなんとなく面倒くさくて繰り返し使用しているタオルは雑巾みたいにヨレヨレに疲れきっていたが、構わず這う様にして椅子から落ちたそれを拾い上げ頭や顔を拭きながら窓の外を眺めた。

何時間くらい眠ったのだろう。ずいぶん前に電池の切れてしまった小洒落た掛け時計は、相変わらず本人の死亡時刻であったのだろう8時40分を示して沈黙している。唐突な夕立のおかげで尚も薄暗くなった室内で透子は頭にタオルを乗せたままペタリと床に座った。外界を四角く切り取った窓の中では雷が灰の空を割って激しい雨風を乱射している。窓に叩きつけられた雨の亡骸がいくつも折り重なり、あっという間に滝の様に流れ出していく。しばらくそんな光景を無心で眺めた。

ずっと昔の様に、混じりけの無い透明度の高い感情、「死にそう!って感じの漠然とした、ただ単純に、こわい!」というのであろうか、とにかくそんな感じの素直な感情は湧かない。幼い頃は一人きりで見る窓の外の嵐がそんな風に、ひどくひどく怖かったのに。今ではそんなストレートな「こわい!」という感情はおろか、喜びとか、悲しみとか、嬉しいとか、幸せとか・・・そういうストレートな感情全部が「こわい!」というのと同じように灰色に鈍っている。

24歳にもなったのだからそれくらい当たり前なのかもしれない。しかし成長による理性の構築や経験の積み重ねによって色んな事に対して粗方の免疫が出来て強くなったというのとはまた別に、何かもっと単純かつ透明で、元々備わっていた自然な何かが薄まっていってきている。そしてその上に灰色に濁っている、不透明で分厚くて重たくて、拭いきれないモンがだんだん覆いかぶさっていく。蓄積していく。その不透明なモンは、まるで身体に走る鈍い痛みがなかなかとれずにドロリと神経を侵食して停滞しているようで、これといったはっきりした根源がわからないタチの悪い不快さであって。

最後に人と話をしたのはいつだっただろう、・・・確か、4日前、いや、会話をした訳ではないな。
久々に電源を入れた携帯電話に残っていた留守電の声を一方的に聞いただけだ。今ではぼんやりとしたパーツ程度の顔の印象しか思い出せないが、数少ない知人の中の一人の声。それを聞いたのが最後だ。やべ、会話とかしてないや。

ほんの一月前にリサイクルショップのアルバイトの口を失ってから、今は自宅アパートから歩いて10分程にあるマンションの管理室で番をするという極めて地味な仕事をしている。勿論それだけでは生活が成り立たない為、週に一度だけ知人が勤めるショットバーで時給を頂戴している訳だが、その店自体も自宅から徒歩20分圏内である。ほぼアパートとマンションの管理室との往復生活、時々遠征。単純な動作の連続。教え込めば猿でも出来そうだ。

そう、可能な限り、外部と、人間と関わらずに生活を成り立たせる方法を模索した結果、そうなったのだ。
面倒だった。出来ないのだと、そう思ったのだ。
それらと関係を構築し、継続していく事が。暗中模索しながら、一喜一憂しながら、自己嫌悪と勘違いと腹の探りあいのちくちく、仮面みたいに笑う事、知りたくもない事を知っていく事、何もかもの一つ一つが。
それは些細な事、当たり前の事のはずなのに、とにかくえらくしんどいのだ。
当たり前の事がえらくしんどいっつうのはかなり辛い。
そんなわけのわからない事実自体にすら途方に暮れてしまう様な非力な自分にですらしんどくなってくる。

例えば酸素を吸って二酸化炭素を吐くとういう当たり前の、基本中の基本の動作ですらに、冗談抜きよで息切れするみたいなものなのかも。
最低限のそれにすら息切れして、途方に暮れてしまったら後にはどんな可能性があるというのだろう。どんな、なにがあるというのだろう。ここに、この私に。

拭えない不快指数はマックスで。そんな絶望感や無力感が混沌と降り積もり、そしてまた非力にも情けなく途方に暮れる。その繰り返しだ。
一体何故こんなにもしんどいのかよくわからないし、よくわからないのにしんどいと言うのは、ああ、そりゃもう本当にやりきれなくて情けなくて、また途方に暮れる。って、さっきもやったかこの反復思考。

絶望と無力を絶え間なく掘り下げていくのだ。
陸一つ無い夜の海に一人きりでぷかぷか漂っているみたい。しかもいつまでたっても夜が明けない。あー!夜が明けない!こんちくしょう!

鋭敏で素直だった感覚が薄れていく。空けない夜という眼前の現実から逃げるように、その絶望からこの身を防衛するように。
外部と作用し合う事が、とにかくしんどくて、痛くてよくわかんなくてたまらない。
だから保守しようとする。するとどんどん視界も感覚も歪曲していく。

もし・・・、まっすぐに突っ込んでいけば無傷では済まないと知っているからそうするのだが、
それらの繰り返しの痛みと、その度に鎮静剤を打つ様な無意味な防衛。そのうちに外部との交わりや関わりがまるで骨折り損のくたびれもうけみたいに思えてきてしまう。くりかえすだけのそれらにただ疲労しか得られずにいるからだ。無論、当たり前の事だから、誰のせいでも何のせいでもないのだけれど。だからこそ、垂れ込めるしんどさをどう処理する事も出来ず、途方に暮れるしかないのだ。
そしていつからか、一体なんでこんなにしんどい事を、ただ繰り返してしまうんだろうって、そう思ったのだ。

だからそれらを破棄した。ただ必要の無いものを捨てただけだ。自分には無駄と思った事を、しんどいって思った事を省いた。どうにもならんよって事をどうにかするのを辞めただけ。
そうするとただ「生きている」という事実だけが残った。空っぽの容器みたいに、ただ在るだけの不動の事実が。
空っぽの容器は底が抜けていて、誰も皆、必死になって容器内を満たそうと色々なモノを詰める。
が、底が抜けているので一行に満たされる事はなく、ふわふわと灰色の疲労だけが満ちていく。

生きているって、死ぬまでの虚しい延命処置に過ぎない気がする。健気で儚くて、でも虚しい応急処置に過ぎない気がする。

リサイクルショップの求人募集への応募は、そんな無気力な期待から穿り出した動機だった。
一応は「販売・接客・女性歓迎」という名目ではあったのだが、実際の内容は透子の希望待遇をほぼ満たしていた。というのも、店で実際にやっていた事は「待機・読書・掃除・単純な社交辞令」くらいのものだったからだ。
店の佇まいは昭和の時代の商店の様な古めかしい造りの日本家屋で、全体的に埃っぽく、年季の入った入り口の木枠の引き戸は外部からの訪問者をお世辞にも歓迎しているとは言いがたい疲れきった老人の様な雰囲気を醸し出していた。当然来客はほとんど無く、店の位置も若者で賑わう古着屋や雑貨店、カフェやバーのあるメイン通りに面している訳ではなく、そこから少し細い私道に入ったマニアックな場所にあった。
わざわざ人が通らないような、忘れられた道の脇に。それに店内に並べられているリサイクル商品やアンティーク家具や照明器具も、街のメイン通りの8割を占める購買者である若者達が、お金を出してまで買おうなんて到底思わない様な、よくわからない価値がついていて、なんだか色気のないアンバランスな品々ばかりだった。極たまに、ちょっとお洒落で、レトロ趣味のお客が食いつきそうなレトロちっくなチェストやクラシカルな照明器具なんかが出現したりもするのだが、そういう商品はほぼ全てを、マニアックなアンティーク趣味を持つリサイクルショップのマスターの吉崎と言う未婚の中年男がそっと私物として店奥にしまいこんでしまう為、客寄せにすらなる暇もなく、殉職していった。
そんな訳でたいてい店には透子が一人か吉崎と二人きりしか人がいなかった。

来客がほぼ無いという事は透子にとっては大変好都合ではあったのだが、伴って収益もほぼ無いはずのこの店に何故アルバイトの店員を雇おうとしたのか、最初は些か疑問であったが、中年男の吉崎が溺愛している萌え系アイドルタレントの話や軽いセクハラ発言にさえ慣れてしまえば仕事は楽だったし、何かと人の出入りが激しい流行りのカフェや色鮮やかな日用品の並ぶ雑貨店でポニーテールなんぞしてニコニコ愛想を振りまきながら就業する事を思えば透子にとってはよっぽどベストな食い淵繋ぎであった。
しかし、そんな過も可も不可もないまあまあの予定調和と平和との日々は急に幕を閉じた。夏の夕刻を襲撃するゲリラ豪雨の様に。

透子がいつもの様に夕方近くにならないと現れない吉崎に変わって店を開け、正午過ぎだというのに薄暗い店内でオレンジ色の照明器具のぼんやりを見つめながら、何冊かレジ台に置きっぱなしにしてある文庫本に手を伸ばそうとした時、急に店の戸がガラリと開いた。予想外の来客に驚いて顔を上げると地味なスーツ姿の男が二人、店内に入って来ていた。

「あ・・・いらっしゃいませ」
久しぶりに発する接客用語に少々舌が支えた。男の一人が軽い会釈をしながら黒い何かを提示しながら言った。警察手帳だった。
「失礼、吉崎隆二さんのご親族の方ですか?」

「あ?・・・いえ、アルバイト・・・ですけど」完璧に不意をつかれていた透子は間抜けに応答した。

「そうでしたか、失礼しました。私共、○○警察の者です。唐突にすみません、実は・・・」

男は園田と名乗った。目が漫画かなんかで描いたみたいに見事に細くて、おだやかそうな印象だったが、そんな印象とは裏腹に伝えられた事実に透子は驚愕した。
吉崎が盗撮、及び迷惑防止条例、その他もろもろの容疑で連行されたらしい。
何でも今朝がた、通勤ラッシュの電車内で女子高生のスカートの中身を盗撮しているのを現行犯で捕まり、
その後の聴取によって、近隣の公園のトイレやスポーツジムのトイレ等に盗撮用のカメラを仕込んでいる事が発覚。撮影したテープや写真を大量に保管しているらしく、転売の事実もほのめかし始めたとの事で園田達が家宅捜索に来たという訳であった。

「とうさつ・・・ですか・・・。」透子が腑抜けた様に無表情で呟くと、園田はそんな反応の薄さに少し拍子抜けしていたがすぐに言葉を続けた。

「それでですね、その、申し上げにくいのですが、この店のトイレにもその、カメラが設置されているとの事で・・・。」

「・・・え?!」まるで現実離れした、○○サスペンスみたいな展開に置いていけぼりにされつつあった透子の意識が一気に現実に引き戻された。

「それ・・・本当ですか?」

透子が眉を顰めながら聞くと、園田は少々気の毒そうな顔をして
「はあ、まあ彼がそう自白していたもので・・・、詳しい事はまだ解っていませんが、最近近隣で発生している痴漢被害や幼女へのいたずらの件での容疑の疑いもありますし、諸々を含め調べさせて頂きたいのです。勿論押収しなければならない物もありますので、今日のところは店を閉めて頂けますか?」と淡々と言った。

「・・・わかり、ました」
透子が呆気にとられながらレジ台を立つと、園田ともう一人のスーツ姿の男はは気の毒そうに「お気持ちはお察しします。ご協力ありがとうございます」と一礼した。
園田達に店を預け、私物の文庫本をカーキ色の地味なリュックに詰めると、透子は追い出される様にして店を後にした。

その後、間もなく店は閉店。園田は逮捕された。執行猶予つきではあるが、痴漢、盗撮、その他諸々の卑猥な所業が出るわ出るわ。

店のトイレには案の定、盗撮用のカメラが仕込まれていた。店にはトイレが一つ。
謎は解けた。ピキーン。求人募集にあった台詞の一つ「女性歓迎」の本当の意味が解った。世田谷界隈にふらふらと蔓延っている若者、そう若い女をアルバイトで雇い、ちゃっかり自分のお膝元で手軽に盗撮を実行する為だったのだろう。
考えてみれば、明らかに少女を標的にした卑猥な犯罪を誘発せんばかりの萌え~な嗜好で、鼻息荒く「どこでそんなステータス情報仕入れたんですか」みたいなアイドルとかのマイナー情報まで鼻の下を伸ばしながら雄弁に語る変態なのだから、その容疑は納得できなくもない。
やたらと透子の男性関係の話を掘り下げたり(無論、完璧にスルーしていたが)、服装や身体を舐める様に見ていた吉崎だから、充分在り得るっちゃあ在りうる。

「・・・しんどい。人間マジしんどい。がつがつがつがつ。なんで?ってか、なんでそんなに他人に対して欲情するの?求めるの?期待するの?夢見ちゃうのよ?」

雨粒の亡骸の流れ行く様を目で追いながら、透子は思った。疲れる。人間は。とにかく疲れる。
関われば、重なり合えば、まるでそこから腐った膿の様に嘘とハッタリと厭らしい欲が流れ出てくる。
そのドロリとした厚ぼったいヘドロ状の膿に押しつぶされて呼吸は苦しくなってくる。
だから、しんどくない様に、リスクを最小限にする為に、疲れて呼吸困難になる危険のある重なりあった部分を最小限に抑えられる様なポジションでの食い淵を見つけたというのに、またかよ。
またなのかよ、まだなのかよ。

せせこましく隅っこの方で息を殺しながら、死ぬまでの延命処置みたいな「生」を騙し騙し続行しようとしている、みそっかすみたいなやつ、私みたいなのまでもが、そんな轍から逃げられない。
どうして?
どこまで続くの。この呼吸困難は。しんどいよ、もう・・・。


「嫌だな」透子は一人呟いた。

「嫌だ、嫌、いや。・・・やだやだやだやだやだぁぁ・・・」首から上でうなだれた。


幼い日に一人、嵐の最中に取り残された日の事。ただの留守番だったけどとても怖かった。忘れられない恐怖は今でも・・・。
急にどこかへトンズラした父の事。酒場で擦り切れながら働いて、帰宅してから薄暗い朝方まで酔いつぶれながら泣いていた母の事。光が見えなくなる程に厚みを帯びていった孤独と不安と細かな絶望感と対人不振の不安定の連続。
剥がれゆく雲母の様に擦れていく目をして、母が言っていた。

「透子、お母さんはいつまでも透子のそばに居られないかもしれないけど、透子はちゃんと一人で生きていける強い子にならないと駄目よ」

透子が15歳になったあくる日、母は死んだ。自殺した。酒場で知り合った男に酔わされたまま、共に心中し母だけが死んだ。酔いの醒めぬまま。車の中で発見された母は一酸化炭素中毒で、傷ひとつない遺体になっていた。車中でのガス自殺だった。母の死に顔はほのかなピンク色に染まった、なんとも言えない幸福そうな死に顔色だったという。ガス自殺特有の遺体状況だったみたいだ。

一方、男は一命を取り留めた。男は透子と母が暮らす借家にその後ほぼ入り浸っていて、退院後、透子が18歳になるまで透子と生活を共にした。意外にも透子に対しては優しく、良心的に接してくれた。形振り構わずまるで透子の為だけに働き、透子を惜しみなく愛し、そして必要なだけの色々を成り立たせてくれた。

透子は男を受け入れ始めていた。その男を好きだった。恋愛とかそういうんじゃなくて、単純に好きと思った。大切と思った。そして失いたくないと思った。事実上の父親ではなくとも、本当の父親の様に、自分の一番近くに居てくれる存在であったから、そして透子を好きといってくれたから。大切にしてくれたから。
しかし、男は透子が高校を卒業するまでの間、身を粉にして透子の面倒を見て、透子の傍に寄り添い、透子の信頼をたっぷり買い占めてから、透子が高校を卒業するとすぐ、あっさり首を吊って死んだ。


もしも万が一、母か男かのどちらかが生き残った場合、透子が辛うじて高校を卒業するまでの間、透子の面倒をみる確約でも交わしていたのだろうか。

男が愛していたのは母親だったんだろう。透子はそう思った。
透子は大切なんかじゃなかったんだ。透子じゃなかった。私は・・・どこよ。

男は、母親の娘である透子に、母親との命賭けの約束をくくりつけて、それを原動力として透子に尽くし、そして死んだ。自ら死んだ。最期の最後まで透子の為ではなく、透子の母の為に生きて死んだんだ。透子は、誰の中にも居なかった。

親も、誰もかれも結局は透子を見つけて見つめ続けなかった。たくさんなんていらない。たったひとつきりのそんな事実が欲しかった。たったひとつきりで構わないから。
捨てられた犬の様な笑みと味噌汁の上澄みみたいに味気ない優しさだけを遺して、透子以外の誰かの為に、いい訳みたいに透子を分厚く撫でながら、透子じゃない誰かの為に。
透子を理由にしながら、経過して消えるだけの理由と言い訳にしながら、透子の実体などだれもかれも認めないまま、見つめないまま、

皆、死んだ。見事に皆、消えていった。


「・・・。私だけのもんだ。誰にも触らせない。・・・失くすのは、嫌。・・・私は私だけのものでいいんだ」

ろくに衣装も揃えられず、なんとか押入れから発掘したそれなりのフォーマルな服装で迎えた成人式の日、透子はそう思ったのだった。

暫くして夕立があがった。ほとんど太陽を覆いつくした西の空が、ゆっくり瞼を閉じて、夜を誘い出していく。
透子は腰を浮かすのもおっくうな程、だるい身体で床を這いバスルームに向った。シャワーを浴び、ゆったりとしたボロいジーンズと灰色のキャミソールに着替えると、マルボロを一本加えて火を付けた。深呼吸をする様に深く煙を飲み内蔵全体にいきわたさせる様にしばらく息を止め、長く吐き出す。ぼんやりとした意識と眼前がやっとクリアになってくる。錆付いた夜型スイッチが気だるそうにONになった。しばらく目を閉じる。
身体がなんとかまともに動くようになり、やっとベランダに出たのは午後7時半すぎだった。比重の重いコールタールの夏の夜は藍色に世界を染め上げていく。見渡す住宅街は街の青白い無表情な街灯の光と、家々がぼんやり内緒話みたいに灯すオレンジ色の光とを交互に受け、電信柱や家々のシルエットが薄く複雑に縁取られながら切り絵の様に浮かび上がっている。
フィルターまでしっかりと。深い深い、不快な深呼吸をすると、眉だけひいて、ろくに紅もささずにボサボサの長い髪の毛も放置したまま、ブラックジョークが満載の短編ノベルの文庫とタバコと薄い財布をバッグに放り込んで、部屋を出た。バイト先のマンションの管理室に向って歩き出す。

チラチラとふらつきながら青白い光を落とす街灯の列に沿って歩く。いくつもの影が薄く浮かび上がってからつま先で消えていく。家路を急ぐ一家の大黒柱や、全うに朝から夕までの就業を終えたOLの帰路を逆走していく。ほとんどの人々が一斉に目覚め、一斉に活動し、一斉に帰るべき場所とは反対に向って。暗闇の中の煌々に向って。

透子は常に一人、そんな逆を走って向うのだ。社会に於いての最低限の規約を満たし、それぞれにある程度の安定した立場と権利を、さも当然のごとく所持しているであろうそんな多くの人々の背中を時折、言葉もなく振り返りながら。
当然であるはずのそれすら満足に満たす事も出来ないままの透子は、そんな轍の中で不安定にゆらゆらと遭難したまま、細々と逆走せざるを得なく這う様に生きている。

そんな日々がただ永遠に続く気がした。死ぬまでずっと。生きているのか死んでいるのか、どっちでもさして変わらない様な、限りなく死に近い生が。死んでいるみたいな生が。煌びやかな繁華街や美しく整備された街から離れた、薄暗くて汚い路地裏の石畳の上で、這い蹲りながらわずかばかりの小銭を拾う様な、こんな毎日がずっと続く。そしてきっとそんな現状を覆す術はきっといくらでもあるのだろう。

でも、術はいくらでもあったにしても、透子にはそんな術を行使する余力が無い。
少し以前、少ないながらも何人かは居た知人達、今ではほぼ見る事も無くなったTVの中の評論家達、
夜になれば接待娘や風俗嬢の尻ばかりに金をはたいている煩悩のくせに、少し人より人生が長いだけで優越感に浸って偉そうに諭すおっさん達、皆それぞれ口を揃えて回りくどく美しき術を説くだけ。漠然とよくわからない明日以降を、それはもう頭の下がる程に綺麗に指差してから、只、手を振って消えるだけの者達。美しく構築されたそんな事なんて粗方は解っていたんだ、いや、わからなくてもどうでもいい事だとも思ったし、だってそんな所まで追いつける様な綺麗なこれじゃなかったから。完成しているえらい私ではないのだから。

欲しいのはここの、外から鳴り響く音じゃない、答じゃない、それらを実行したり見出したりする、ここの、内の音、声、私からの力なんだ。そしてそれは誰か他から享受できるモノではないというのを知っている。自分でなんとか調達するしかないモノだと解るんだ。

しかし、現に遭難し続けている透子にとっては、這い蹲りながら小銭を集めて辛うじての延命処置を図るのが正直精一杯で、とてもその様な確固たる力や明日から先の道などを切り開いていく力が無い。あっても上手く行使できないだろう。

そういうのを外部に求めたところで、説教されるか、薄い嘘っぱちでかます愛想笑いの連続か、はたまた興味も関心もないはずの近況や自論を虚しくぶつけ合うだけか、大体がどれかになるのは目に見えている。
そこに、意義も求むるモノも見出せない。動機も感情も動かない。麻痺しているのか、本当に必要ないからなのだろうか、・・・・。
どちらにせよ多分、常時、外部と関わりあうのは無駄に思える。
嗚呼、関係していくのは無駄・・・っていうか、私に無理。
出来る限りそれらに使う力を最低限の延命処置に宛がっていかなければ、持ちこたえられない。無理やりそうすれば、ここのほんとうの中にある、超最低限の何かが磨り減ってしまう気がする。
・・・でも、何故、一体ほんとうの中にある、何を守ろうとしているのだろう。

もう物言わぬ大人しく消沈したこの薄い輪郭ですらも、薄暗い路地裏の闇に瞬時に見失いそうになってしまいそうだというのに。


黙々と歩き始めてから10分もしないうちに、環七通りのいっ歩手前の私道に面したバイト先であるマンションに着いた。大手の建設会社が各都市や都内のベッドタウンに展開している整備の行き届いた小奇麗なマンションである。夜の間中、エントランスの入り口付近には煌々とスポットライトが点いている。

大抵の部屋が1Kで、1階と最上階の14階にだけ2部屋ずつ1DKの部屋がある。
入居者はそこそこの収入のある独身のサラリーマンやOLが殆どを占め、あとは水商売等をしている女達が少々といったところであろう。
管理室の鍵を開け、明かりを点ける。建物の佇まいとは対照的な殺風景な3畳程の室内には1ドアの冷蔵庫と、エントランスに面した小さな引き窓のすぐ傍にあるデスク、非常の際に鳴る、警備会社と連携プレーをする為の電話、あとはアルミ製の棚があるだけだ。すぐさま換気扇のスイッチを入れ、昼間に在室している管理のおっさんが取り付けたのであろう座布団付きの椅子に腰掛けて、タバコをくわえ、点火。煙が空中でさ迷いつつも換気扇の取り付けられている天井の格子の中に吸い込まれていく。
タバコの量が増えたな、透子は天井の4本の蛍光灯の明かりを眺めながら、そう思った。
日本語を発する機会はごっそりと減ったが、反比例する様にタバコの消費量が増えていく。口寂しさを食で補う選択肢を、元々胃の小さい透子は選ばなかったので必然としてそうなったのだ。管理室は夜間、唯一外界であるエントランスに面した引き窓にはカーテンがひいてあるので、基本的にはあまりよろしくないのだが透子は大抵1箱分のタバコと2冊の文庫を此処で消費する。夜は長い。終わりの無い絶望の様に、黒々と深く垂れ込める。

椅子に座って仰向けに寄りかかりながら、透子がタバコをフィルターまで吸いきろうとしていた時、エントランスの自動ドアが開く音がした。ヨレヨレに疲れきった社会の中での先鋭が一人帰宅したのだろう。耳の端でその物音を聞きながら透子が持ってきた文庫を取り出そうとバックに手を伸ばした時、管理室の小さな引き窓を叩く音が聞こえた。

「来客?」珍しい展開に驚いたが、一応これもバイト、仕事のうちだ。引き戸を開ける。

「・・・どうかしましたか?」
見ると、ひょろ長くて薄い身体をして、青白い全体を持つ青年が何やら只ならぬ感じの神妙な顔つきで立っていた。と言っても、表情や目元は伸びきってざんばらな前髪のうっそうに隠れてよく確認できない。

「・・・あの、ここのどこかの部屋に若くて、髪の毛が金色で、多分短い女の人、住んでませんか?」

青年は口頭一番、不躾にそう言った。
「は・・・。金髪の女の人・・・ですか?いや、住んでる人の事はちょっと・・・」
透子が寝起き直後に極論の二者択一を迫られたみたいにおろおろとしながら、それでも訝しげに答える。
すると、青年は「そう、ですよね・・・」と言って視線を落とした。

「あの、ご用件は?」
怪しい者であれば、すぐに警備会社に連絡しなければならない。これも仕事のうちである。

「・・・いえ、あの・・・」
青年は元々伸びきった前髪の奥にある確認困難な暗い目元に更に暗い影を揺らしながら地味にどもった。
落ち着きが無い。よく見えないが明らかに動揺している眼。いや、全体的に不審だ。
怪しい。透子は瞬時にそう感じた。人が嘘をつく瞬間はかなりはっきりしている。特に男はわかりやすい。透子はそういう察しはいい方だった。知りたくもないが。
久々に微々たる正義感というポジティブ系の感情が芽生える。非力な身ではあるが、色んな感覚が麻痺っているせいか透子は恐れを忘れているらしく、ぴしゃりと
「警備のものを呼びますか?」と言った。
青年は一瞬動きを止め、ゆっくりと透子を見つめた。張り倒せる相手かどうかを吟味しているのだろうか、透子の全身を緊張の針金が縛り上げる。

沈黙していた青年は、ふっと何か魂とか何かしらのストッパーが弾かれたみたいにして遠い目をしながら透子の顔面を見たまま言った。

「・・・死ぬんです・・・」

「・・・・・は?」

何を言っているんだこの男は。他に相槌の打ちようは無かった。「は?」という言葉が通常の発言の様に透子の意識と声帯を経てからではなく、顔面から煙の様に吹き出た。呆けている透子の顔を見たまま青年は表情を変える事なく続ける。

「死ぬんです。金髪の髪の短い女が。多分・・・今日、ここで」

青年の吐息は酒臭い訳じゃなかった。酔っ払っているという訳では無さそうだ。精神障害者か?薬中毒者か?なんなんだアンタは!?

「警備の者を呼びますから!」透子がそう言って非常用の電話に手をかけようとしたその時、建物の裏手の方から「ドッ!!!!」と言う、鈍く響く様な、大きな音がした。一瞬の音だった。

青年は電話をとろうとしていた透子を瞬時に止めようとして腕を窓に突っ込みかけていたが、その音を聞いた瞬間、暗い目元の奥にある眼球を見開いて動きを止めた。3秒程空間が静寂に満ちた。
透子が眉間に皺を寄せて窓に面した引き窓からエントランスに首を出そうとゆっくり腰を上げようとしていると、青年はそれまでの神妙な面持ちから一変して、血の気の引いた様になり、半分突っ込んだ腕を戻しながら、
「多分、もういいです。間に合いませんでした」と俯いた。

「・・・あの、間に合わないって・・・?」
透子が未だ警戒しながらも、電話から手を離し、尋ねるのを聞き終わらない内に、青年はそれまで管理室とエントランスの間に湧いていた戦々恐々とした空気を吹き消す様にくるりと踵を返して入り口の自動ドアに向っていった。
「ちょ・・・」
透子はそう言うと同時に椅子から立ち上っていた、そして管理室を出て青年を追う。
青年は振り返るでもなくマンションの裏手に向って歩いていく。透子はそれに追いつくと正面に回った。
「間に合わないって、何が間に合わないんですか?」
どうしてだか、何もかもに無関心になりつつあるはずなのに、がつがつと青年に詰め寄った。あの音がした瞬間に見た青年の、まるでこの世のモノではない様な何かを見てしまいました、という妙に重力のある反応と表情がいやに引っかかっていた。
青年は透子の顔から下まで視線を上げたが、そのまま黙って透子の横を通りすぎて黙々とマンションの裏手に向った。透子は連鎖反応したみたいに青年の後に続く。
マンションの裏手は全ての部屋のバルコニーの真下にあって、整然と形の良い石畳が敷き詰められているスペースである。周囲は囲む様に植えられている植木とその根元に備え付けられているライトが煌々と点いている。青年は迷う事なくその裏手のスペースへと向う角を曲がる。透子も黙って続く。

マンションの裏手の敷地、石畳の上に女が寝ていた。口と頭部から血を吐きながら、金髪のボブカットヘアーの女が寝ていた。

「やっぱり・・・」

青年はその光景を見つめながら小さく呟いた。

状況が飲み込めないまま呆然と女の横たわる様を見ている透子が口を開く。

「死ん、でる・・・?」

「・・・死んでる。間に合わなかったんだ」

青年は表情筋を微動だにせぬままに答えた。
短髪で金髪の女が死んでいた。飛び降りたらしい。叩きつけられた女の全身は力なく石畳にへばりついている。
青年がついさっき只ならぬ雰囲気を醸し出しながら訴えた通りの惨状、女だった。
透子も青年も何も言わずに只、それを見つめていた。刻々と刻んでいく時間の確約を静かに破る様に、生ぬるい夏の夜の、名も無き一片に重く滴る「死」という事実が静かに充満している。

「救急車・・・」透子が言う。

「いや・・・警察です。」
青年はぽつりと答えると、踵を返し足早に夜闇の果てに向う。
細かい雨が降り出してきた。途端にアスファルトの湿った匂いが立ち込めてくる。

「どうして知ってたんですか・・・?」青年のあまりにも無情すぎる反応と所作に連鎖する様に、思わず聞いた。
青年は歩みを止め、背中に諦めた様な脱力感を浮かべた。

「解ってしまうんです」

「え?」

「解るんです。死ぬ人の事が」

青年はゆっくりと振り返った。雨に濡れて、余計に重たくなった伸びっぱなしの黒い髪に覆われた顔の表情は相変わらず確認困難だが、無表情とか、いやそれ以上の絶句。
絶望的な雰囲気で、極めて怜悧で青ざめた印象を醸し出す空気を発している。くたびれた灰色のTシャツから伸びる左の腕あたりは、何やら鈍く、黒っぽく汚れている。

降下の頻度を次第に増していく雨粒に気がつかないまま透子は呆然と佇み、青年を見つめいた。

「私の事も?」

口からこぼれ出ると言うのはこういう事だろうか、透子は何かの感情の笊から、抱えきれず溢れ零れた果実の様にそう発した。意図的な発言ではなかった。何かに押し出される様な衝動に駆られた。
背を向けて濡れた夜闇に溶けかけていた青年の肩がぴくりと動き、止まった。
随分まとまって落ちてきていた雨粒に濡れた黒い前髪が、青年の額にまとまってぺたりと張り付いて、顔色の悪い顔面を更に気味の悪いものにしている。纏まってぺたりとはりついた髪の間に見えた眼は一重瞼だが、眼光は鋭く、強い。ひん剥いて透子を捕らえる。

「いや、知りません。」

青年は湿った夜闇に濡れて薄まった全身の中に唯一の鋭敏さを持つ様な、鋭利な眼光を釘付ける様に透子を見ながら言った。
蛇に睨まれた蛙の様に透子は硬直してしまい、それ以上に青年に言葉をかける事はなかった。
マネキン人形の様に雨の中立ち尽くす透子に、青年は鋭利な目元だけは残して、どこかため息みたいに疲れた空気を吐きながら言葉を続けた。

「・・・すみません。巻き込んで・・・。戻りましょう。電話を貸して下さい」

連れ立って管理室に戻る。青年の挙動や発言の端々には確かに血の通った感情の断片みたいなものが感じられた。しかし、それはあくまで断片であってそれ以外の青年を形作るそのものや中心付近、青年の挙動や動作、その発信源である場所は、ぽっかりと真っ黒な空洞みたいになっていて、そこからはどうにも救いのない絶望的な空気が絶え間なく吐き出されているみたに思えた。虚無の穴とでも銘打つべきか。

そいつのせいか青年の動作や発言や印象が、例えば恐れをを知らずに平気で生きた虫の羽や足をむしりとる残忍さを残している子供、あるいは人間らしい感情を生み出す脳のどっかしらが破壊されている人間というか、青年は人間の形をした真っ黒い穴の様だった。青年の声はどこか電話の時報案内の様に機械的であった。
管理室に戻り、青年が電話で警察を呼んだ。救急車ではなく警察だけを呼んだ。淡々としながら。
透子が救急車も呼んだ方がいいと付け加えると青年は振り返る事もなく「無駄です。」と背中で言った。

程なくして警察が来た。マンションの前でパトカーが止まると平和と静寂の下で眠りにつこうとしていた住宅街からばらばらと野次馬が出てきた。皆、不安げな顔をしながら傘を片手にして遠巻きにマンションの奥の現場の方を眺めている。人々の眼球はブラウン管や液晶画面でも張られているみたいに起こった事実を鮮明に捉えようと絶え間なく光っていたが、どこか予定調和のハプニング映像でも見ているかの様な遠巻きな冷ややかさもまた携えていた。透子と青年は第一発見者と言う事で現場で一応の事情聴取は受けたが、状況が状況なだけにすぐに加害容疑ははれて解放された。透子が気がつかないうちに青年は姿を消していた。透子はそのまま管理室に戻ってバイトの定刻まで駐在したが、あまりにも真平らで地味な日常に突然起きた出来事と青年の印象が、まるですきっ腹にテキーラをストレートで流し込んだみたいに強烈で、いつもの様に暢気に読書なんかする気にもなれず、延々と半分放心のままタバコをくわえて過ごした。


それからはしばらくまた不変で不毛な反復動作の連続の日常が続いた。7日目、透子は終日休みだった。
というのに前日、というか今朝帰宅してから随分と酒を飲んだらしく目が覚めたのは午後3時をまわってからだった。酷い頭痛、吐き気、倦怠感。透子はよく酒を飲む方だったし、週に1日だけバーで働いていた事もあったからそこそこ普通の女の子以上にアルコールに対する免疫はあったが、これだけはどんなに免疫が出来ても回避できない不快みたいだ。多分免疫とかの問題じゃないのだろう。不味くなってくるまで酒を飲むかどうかの問題だ。無論、狭い1Kの部屋の中央にある小さなテーブルの上には缶ビールの抜け殻が犇めきあっていた。透子はそれらを横目に見て更に吐き気を増しながら、ベッドから這い出てショーケースから下着とバスタオルを掘り出すとそのままシャワーを浴びた。かなり熱めの湯を浴びた。湯の一粒一粒が熱い針みたいになって水圧とタッグを組んで肌に激突してくる。はっきり言って痛い。でも熱くないと駄目なのだ。嫌なのだ。
同時に身体全体を覆いつくしている倦怠感や吐き気やなんかのドロっとした物体が熱い湯に剥がされて、細胞一つ一つが垂れ流しているゲロと一緒に排水溝に落ちていく。しかし真ん中にある吐き気と痛みと不快の元凶は以前として透子の中で強かに分厚く生き延びている。全く回復しない身体から滴る水滴を充分に拭かないままバスルームから出ると、頭からタオルを被ったままタバコを吸う。不味い。そうこうして最悪の状態のまま、大事をとる訳でもなく更に不快に自らを追い詰め居ていくと、深い霧の中でだんだん視界が開ける様にその状態に慣れてくる。回復とか改善とか、消して良い方に向くんじゃない。最悪の体調を最悪と感じなくなるまでに、ただ慣れてくるだけだ。麻痺してくるだけだ。生物の適応能力とは本当におぞましいものである。しかし、果たしてそこまでして適応する意味があるのか、そんな労力を捻り出してまで生き延びる価値があるのだろうか、透子にはよくわからない。っつうか疑問。


まだ濡れた髪のまま着替える。スキニータイプのジーンズが乾ききらない肌に支えて少し履きづらい。トップに黒いベルベットっつぽい生地で出来たミニのワンピースを着て麻の薄いカーディガンを羽織る。眉とラインだけの簡単な化粧を済ませるとヒールの低い黒いサンダルを履いて出かける。週に一日の終日オフ、透子は駅前の大きな本屋まで出かける習慣になっているのだ。
ほぼ西に傾きかけている陽の光が、闇と蛍光灯の青白い光にばかり慣れた目に容赦なく刺さる。
夏の日は長い。そして夕方も長い。伸びかけた影をひきずりながら駅に向う。15分程歩くと細い道路の向こうに大きな通りと商店が立ち並ぶ駅前が見えた。早めの帰宅をする人や学生、犬を連れた老人、子連れの主婦等、個々にそれぞれの世界を持つ様々な人々が色鮮やかに行き交っている。
淡いオレンジ色の西日に染まった賑やかな駅前の商店街を足早に過ぎると、商店街の奥にある大きな書店に入った。書店は商店街の中ではそこそこに大きなキャパを持つ店で、古本や画材や文具等の品々も販売している多機能さである。無論、透子の目的は本である。透子は本ばかり読んでいた。透子の部屋には一応テレビはあるのだがほぼスイッチを入れる事はなく、今ではコンセントが抜かれていてその切っ先には薄く埃がかぶっている。パソコンも遠い昔に知人から貰ったデスクトップのが一台あるのだが何の開拓もせずに部屋の隅で粗大ゴミみたいに場所だけをとっている。本だけが着実に増えていき、今ではその塊が一個の家具並みのスペースを占めている。特別本が好きとかいう訳でもなかったのだが、何も言わずに余計な意識をトばすには本が一番マシなアイテムなのだ。
書店の文庫コーナーに向って店内を進んでいると、少し手前にある文具コーナーで鉛筆を手にとってじっと佇んでいる後姿が居た。
あの青年だった。
独特の無機質さと妙な空気を醸し出しているのですぐに判った。思わずその後姿の前で足が止まってしまった。青年はすぐにその気配に気がつくと振り返り、まともに両目が見えないくらいに伸びすぎた黒い前髪の奥にある目を見開いた。「こないだの・・・」こぼれ出たみたいに青年は言った。青年の目には相変わらす生命力とか光とか、総じてポジティブな要素はまるでないが、何故か眼中に捉えたものに太い釘でも刺すみたいな妙な重力がある。その重力に逆らえず、透子は反射的に「あ、どうも」と答えた。まだ平日の日没前で、普通に勤めて社会生活を送っている人間ならばありえない格好を青年はしている。左膝のあたりに穴が開いたボロいジーンズ、伸びて色落ちした灰色のTシャツ。

「何、されているんですか?」青年の正体になんとなく興味が湧いたので問う。

「あ・・・鉛筆小さくなっちゃって。」青年は素直に答える。
いや、そうじゃなくて・・・。

透子が間をおいて「・・・はあ、」と言いかけると青年はまだ言葉を続けた。

「スケッチとかデッサンしてるんです、趣味で。ほぼ一日ずっとやってるからすぐなくなっちゃうんですよ。」
そう言うと青年は少しだけ笑って見せた。青年が笑ったのを見たのは初めてだった。でも、微笑みというか、曲がる方向とは逆に無理やり蝶番を押し倒して「ギイギイ」という不快な音がしそうな不器用な笑みだった。
気持ち悪い。と思った。

しかし、・・・
「絵描くんですか・・・」・・・ちょっと意外だった。
あんな無機質で機械的な空気を吐き出している虚無の穴みたいな人間が絵とか、芸術とか、そんな事に興味があったとは。そうか、腕の黒ずみは鉛の跡か。
まあ・・・、芸術家とかアート系の人間はむしろちょっと変わり者が多い。普段は死体みたいな目をしている奴がギターとか弾かせるととんでもない高速タッピングをかましたりする。周囲はそのギャップにあっとなる訳だ。

透子はそんな青年の不思議な空気に駆りたたされた。対人にそんな欲求を持つ事はかなり久しぶりである。
透子はいつの間にか青年の隣に立って深緑色の柄の鉛筆がたくさん積まれている棚を見ていた。

「時間ありますか?」突然、青年が呟いた。

意外な質問に青年の顔へ振り向くと、先ほどまでの微々たる笑みは消えていて、青年はまたいつもの様な暗くて重たい重力を携えた目もとをしていた。透子は連鎖反応みたいに「はい」と答えていた。
「移動しましょう」
青年は不動の表情のまま出口に向った。透子は文庫本のコーナーに行き着かないままに青年と書店を出た。


メイン通りからかなり外れた一方通行の道の奥の喫茶店に入った。銅製の古びた看板には「BLUE BIRD」と記されている。
青年が言うには此処の方が安心なのだという。新参者を拒むみたいなガラス窓埃っぽさと、木製の重たいドア。何処かあのリサイクルショップみたいでもある。店内にはカウンターが6席、テーブルが2つ、ピンク色の電話がレジ横にあって、カウンター内にはウイスキーのボトルが、年々も時が止まっているみたいに静かに並んでいる。客は無い。
透子と青年は一番奥にあるテーブル席に着くと、カウンターで新聞を読んでいた中年で無愛想な無精髭顔の店のマスターが注文を採りに来た。「何にしますか?」青年は透子の注文だけをマスターに採らせた。間もなくして透子が頼んだアイスコーヒーとホットコーヒー、ミルクポットが出てきた。青年はホットコーヒーに大量にミルクを入れながら「こないだの事、誰かに話したりとかしました?」と不躾に聞いてきた。

タバコに手をかけていた透子は多少ドキリとしたが、無論完璧に人と話をするという事はおろか、友人ともろくに接触しない毎日なので「いえ」と首を振った。青年はそれを見ると視線を下げてコーヒーを一口啜って言った。

「あの日僕が言った事、馬